宗教概観

人口の90%以上が仏教徒と大多数を占めるため、タイでは仏教が実質的な国教といってもいい。ただし、信仰の自由が憲法によって保障されているので、イスラム教(5%)、キリスト教(0.6%)、ヒンドゥー教(0.1%)などの信者もいる。

華人のほとんども仏教徒に含まれるが、タイ人の上座部仏教とは異なり、大乗仏教に儒教などの考えを取り入れた独特な仏教を信仰する者が多い。

バンコクでは、モスクを見かけることも多く、シーロム地域にはヒンドゥー寺院の「ワット・マハー・ウマー・テーウィー」がある。このヒンドゥー寺院には、インド系の信者だけでなく、タイ人も多く参拝に訪れている。インド人街には、シク寺院もある。タイ南部に行くと、イスラム教徒の方が大多数を占めることになる。

様々な宗教を信仰する国民から成り立つタイだが、この項ではタイで最も多い上座部仏教について説明したい。

 

釈迦の死後100年にあたる仏滅後100年(西暦紀元前444年)の時、仏教は内部対立を起こし、保守派の上座部仏教と大衆部に分裂した。大乗仏教の起源をこの大衆部に求める学説もあるが、諸説存在し、結論は未だ出ていない。

上座部仏教は、インドからスリランカにわたったのちタイなど東南アジアに伝播した。上座部仏教徒が多い国は、スリランカ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスの東南アジア諸国である。発祥の地インドで消滅した上座部仏教が、なぜ東南アジア諸国で信仰の対象として維持・継続されているのか、その理由は学術的にも明確な説明がなされていない。

一方の大乗仏教は、インドからチベット、中国、朝鮮半島を経て日本に伝わった。日本では大乗仏教が信仰されている。大乗仏教は、簡潔にいえばすべての者を救済するという考えを持つ。

 

釈迦は、すべてのものは苦しみであると説いたが、仏教は神という概念がない。キリスト教やイスラム教などのように神は存在しないため、自己を苦しみから救済するものは自分しかない。そこで、自己鍛錬をし、善を積むことが救いの道であると説く。

上座部仏教においては、「三学」によって苦しみから救済されるとしている。「三学」とは、「心身の調整」「精神統一」「高度の知恵」で、戒律による生活で心身を整え、これによって精神の統一を行い、そして知恵を獲得して、苦しみから解放されるということだ。特に、無知を戒め、知によって苦しみから解脱できるというのが、上座部仏教の基本的な立場である。

しかし、生きていくために仕事をしなくてはいけない者にとっては、「三学」を実現する余裕はない。

そこで、世俗一切を捨て、苦からの救済・解脱への修行をするために「出家」という手段が取られるようになった。上座部仏教徒が出家を始める以前の古代インドでは、宗教的な修行形態として出家は一般的であった。

当初は、出家者は遍歴が当たり前だった。しかし、熱帯地方特有の雨季の大雨と、出家者の数が増加したことで、徐々に定住化が始まったと考えられる。「サンガ」という出家者の生活共同体の始まりである。

生活共同体誕生以前は、自分の意志と判断により生活をしていれば良かったが、誕生後は共同体を維持するためのルールが必要となった。そこで、「パーティモッカ」と呼ばれる「227の戒律」が定められた。

227の戒律は、以下のように分類されている。

・罰則のある規程

許されない大罪

許されうる小罪(軽罪、微罪)

・罰則のない規定

 

まず、許されない大罪は、「性交の罪」「盗みの罪」「故意の殺人」「虚言の罪」の4項目である。これらに違反したものは黄衣を剥奪されたうえ、生活共同体外に放逐され、社会的にも厳しく糾弾される。日本の仏教が堕落しているとみられているのは、性交の罪を犯し、結婚をしているからである。

許されうる小罪のうち、もっとも重いものは、「婦人の身体に触れること」など13項目ある。タイでは、混雑したバスの中でも、女性は僧侶に触れないように気を使っている光景をよく見かける。

許されうる小罪の微罪の中に、金銭にふれることを禁止している点が注目されるが、金銭にふれるを、金銭にさわらないと解釈しており、金銭の所有は禁じられていない。

「飲酒」「故意に生物の命を奪うこと」「綿入りの布団を用いること」「正午から翌朝までに食事をとること」など、日常生活に関しても細かく規定されている。出家者は、227の戒律を順守しながら生活を送ることになっている。

サンガを離れたい脱サンガ(還俗)は、自由意思で行え、還俗しても、社会から非難されることは全くない。

 

出家者でない者は在家信者となる。上座部仏教徒以外は、生まれながらにして上座部仏教の環境下で育つといってもいい。

タイの在家信者の最大の特徴は、「ブン(功徳)」を重要視することだ。ブンと悪行の数の多さによって、来世の人生が決定されると考える。輪廻転生の思想をもつため、現世があまり良くなくても、ブンをたくさん積むことで来世では幸福で裕福な生活が送られると考えている。

そのブンを生み出す行為が「タンブン」であり、在家信者の宗教行為の基底となっている。下記の在家信者の戒律「5戒・8戒」は、タンブンがあってこそ意義が認められる存在にすぎない。

タンブンの中で最上の行為とされるのが、寺院の建立である。土地、金銭などの寄進・お布施ばかりか、労力の提供も惜しまない。

出家も、大きなタンブンと考えられている。出家した男性だけでなく、それに協力した人すべてにブンが得られる。そのため、雨季の「雨安居(うあんご)」に一時出家者が多くなる。

そのほか、托鉢や昼食のもてなし、金銭のお布施、日用必需品の供養などが挙げられる。寺院の周りには、日用必需品をバケツに入れた商品が販売されている。

また、寺院に行くと、小鳥を買ってから放している人を見かけるが、これもタンブンの一つである。

 

最後に、在家信者にも、「5戒・8戒」という戒律が存在する。

5戒とは、

・生類を殺さない

・盗みをしない

・みだらなことをしない

・うそをつかない

・酒を飲まない

これに、以下の3戒律が加わり8戒となる。

・午後に食事をしない

・歌舞などの娯楽にふけらず、装身具、香水なども用いない

・高くて大きな寝台を用いない

である。